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マリア・カロリーネ・フォン・エスターライヒ (1801-1832) : ミニ英和和英辞書
マリア・カロリーネ・フォン・エスターライヒ (1801-1832)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・カロリーネ・フォン・エスターライヒ (1801-1832) ( リダイレクト:カロリーネ・フェルディナンデ・フォン・エスターライヒ ) : ウィキペディア日本語版
カロリーネ・フェルディナンデ・フォン・エスターライヒ[ちょうおん]

マリア・カロリーネ・フェルディナンデ・テレジア・ヨゼフィーネ・デメトリア・フォン・エスターライヒ, 1801年4月8日 ウィーン - 1832年5月22日 ドレスデン)は、オーストリア皇帝家の一員、。神聖ローマ皇帝、のちオーストリア皇帝フランツ2世(1世)の娘で、ザクセンフリードリヒ・アウグスト2世の最初の妻。夫の即位以前に死去し、王妃にはなっていない。
フランツ2世皇帝とその2番目の妻でナポリ王フェルディナンド4世(後の両シチリアフェルディナンド1世)の娘であるマリア・テレジアの間の第8子、六女として生まれた。父にとっては7番目の娘である。1819年にザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世の甥で、子供の無い伯父たちの死後に王位を継ぐことが確実視されていたフリードリヒ・アウグスト王子と結婚した。まず1819年9月26日にウィーンで代理結婚式を行い、同年10月7日にドレスデンで両人揃っての結婚式が行われた。
13年間の結婚生活で子供を授かることはなく、1832年に没してドレスデンのカトリック宮廷教会に葬られた。夫はその後、バイエルン王女マリア・アンナと再婚したものの、後継ぎを得ることは出来なかった。'', 1801年4月8日 ウィーン - 1832年5月22日 ドレスデン)は、オーストリア皇帝家の一員、。神聖ローマ皇帝、のちオーストリア皇帝フランツ2世(1世)の娘で、ザクセンフリードリヒ・アウグスト2世の最初の妻。夫の即位以前に死去し、王妃にはなっていない。
フランツ2世皇帝とその2番目の妻でナポリ王フェルディナンド4世(後の両シチリアフェルディナンド1世)の娘であるマリア・テレジアの間の第8子、六女として生まれた。父にとっては7番目の娘である。1819年にザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世の甥で、子供の無い伯父たちの死後に王位を継ぐことが確実視されていたフリードリヒ・アウグスト王子と結婚した。まず1819年9月26日にウィーンで代理結婚式を行い、同年10月7日にドレスデンで両人揃っての結婚式が行われた。
13年間の結婚生活で子供を授かることはなく、1832年に没してドレスデンのカトリック宮廷教会に葬られた。夫はその後、バイエルン王女マリア・アンナと再婚したものの、後継ぎを得ることは出来なかった。
== 外部リンク ==

* Foto ihres Sarges in der Katholischen Hofkirche



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カロリーネ・フェルディナンデ・フォン・エスターライヒ」の詳細全文を読む




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